連載「昔、厚労省はゴールドプランを制定した」 BQOLを考える クオリティ・オブ・ライフ(ひとりひとりの人生の内容の質や社会的にみた生活の質のことを指し、社会的に弱い立場にある人が、どれだけ人間らしい生活や自分らしい生活を送り、人生に幸福を見出しているか、ということを尺度としてとらえる概念である。)なかなか難しい言葉だが、介護保険制度発足当時にはよく聞いた言葉だ。当時、ホームヘルパーの多くが、QOLの考え方を新鮮に感じていた。それまでは、介護が必要になった高齢者は家族に負担をかけなければならず、自由は制限され、生きていくことが精一杯といった印象が強かった。介護が必要になったら、家族で世話することが当たり前であったが、必要以上の長期入院が一般化していて、かと言って老人ホームへの入所は不幸なこととみられていたから希望をもって介護保険制度は発足した。 介護保険制度は、居宅生活が基本で、生活の質までも問われる時代が訪れたというのだから新鮮と言わなければならなかった。だが、人生の内容や生活の質は人それぞれであることもあって、介護保険で受けられるサービスの範囲が問題となることになった。散歩はどうか?趣味はどうか?外食は?等々である。結局、介護保険制度の変遷と財政逼迫のなかで、いつしかQOLと言う言葉自体聞くことが少なくなった。QOLを聞かなくなったと言って、介護サービスの質が問われなくなったわけではないが、財政逼迫の中で無駄とされるサービスは大幅に削られたわけだから、それを窮屈に感じている人も少なくないと思う。 しかし、数か月前ラジオでQOLという言葉をふいに聞いた。それは、日本老年学会が認知症の終末期における人工的な水分・栄養補給(AHN)について、考え方の道筋となるものをまとめたいとしたニュースであった。「認知症の終末期については、AHNによる生存期間の延長効果もQOLの改善効果も非常に限定的で、総合的には患者の不利益に帰するところが多いとの研究論文も発表されている」とも言っていた。人工的な水分・栄養補給(AHN)とは大半、胃ろうを指すと思う。そして、医学の伝統である延命最重視の考え方から多様な価値判断を許容する考え方へ発想を転換し、延命重視から自然な看取りまで、臨床現場において多様な選択肢を可能にしたいとしていた。 そう言われてみれば、QOLの言う「ひとりひとりの人生の内容の質や社会的にみた生活の質」の究極は一人一人の終末期にあるのかも知れないと思った。 このあたり延命治療に対する論議は今後も続くだろうが、こと胃ろうに関してはその是非の前に、より真剣に経口摂取に取り組むことが必要な気がしてならない。 |