連載「昔、厚労省はゴールドプランを制定した」

A 理想の施設

2002年会社発足当時、私は友人の紹介で研修を兼ねて京都に施設見学に出かけた。当時は介護保険法発足当初で、ホームヘルパーは人気の職業だったし、老健や特養でも理想を追求し話題となるものも多かった記憶だ。中でも私の訪れた公的施設は実にすばらしいと思った。施設の中は入所者1人1人にそれぞれ個性豊かな個室が作られていて、その個室数個の中央に共同の食堂が設置されている物であった。数個の個性豊かな個室と食堂スペースが一つのグループになり、2〜3のグループで各階が構成されていた。食事も蓋つきのお椀などに盛り付けられ、美味しかった。なにしろ、その施設の合言葉は「歳をとったら自分自身も入りたい施設を作ろう」であって、職員皆が本当にそのつもりで働いているように見えた。

私が子供の頃は、ご近所のお年寄りが老人ホームに入るとの噂が広がると、家族では「かわいそうに」との話がされ、近所では「あそこのお嫁さんは・・・・」などの陰口がささやかれたものだ。確かに、認知症が酷くなり家族で手に負えないとなると、居宅で座敷牢を作ったとの話を聞いたり、精神病院の内科病棟に最期まで入院するといった話もあったので、無責任な噂も仕方なかったかもしれない。

このように、私の施設に対する認識はあまり良くなかったので、その斬新な京都の見学は私の施設に対する認識を新たなものにした。その頃の施設は、多人数部屋で病棟の変形のような作りが主流であったが、介護保険発足当時の勢いで一部斬新なものが現れたということだ。そして、旧来の施設では、多人数部屋ではプライベートが守れないとの理由で、ユニット型なるものが徐々に増え始め、今ではそれが全てになる勢いだ。反対に言うと採算や管理上の理由で、個室は無理だが、安価で多人数の管理がしやすいユニット型と言うことだ。

一方、特養や老健の入所待ちが多いこともあって、近年はサービス付き高齢者専用住宅(国土交通省と厚生労働省が管轄)の宣伝が盛んである。これは、建物としてはアパートやマンションのたぐいだから個室であることは間違いない。昨年はこの集合住宅に外部から介護保険の介護や看護サービスを24時間派遣し、配食弁当で食事をまかなうシステムが、多いに宣伝された。

しかし、介護保険には利用できる限度があるので大丈夫なのだろうか。まず、高齢者専用住宅であるから、全てが独居か老老介護と思って間違いない。だから家族の介護も御近所の協力も期待できない。外部からの往診や訪問介護、訪問看護が頼みの綱だ。往診は医療保険だから限度額はない、しかし訪問介護と訪問看護は介護保険なので一ヶ月に利用できる限度がある。そこで、限度額内でどれほどのサービスが受けらるか考えてみよう。

まず、配食弁当が届けば自分で食べられる場合はあまり問題は無いと思う。この場合のサービス利用は、食事のように朝、昼、晩のような時間制限もない。問題は自分ひとりでは満足に食事が摂れない又はそれ以上の介護を必要とする場合だ。

ここで一つの問題が出てくる。訪問時間が同じならば、訪問看護は訪問介護身体サービスの概ね2倍の単位数を消費するので必要最低限の利用となることだ。だから今回の介護保険制度の改正にあるように、今まで許可されていない医療行為も、一部は訪問介護ですることになる。

さて、仮に配食サービスを利用し、訪問看護の利用をゼロとしても、365日配膳と掃除、洗濯のサービスが必要なら要介護2で毎日2回、要介護3で毎日3回のサービスが介護保険の限度額を超えるか超えないかギリギリの線だと思う。おむつ交換などの必要が出てこれば一回あたりのサービス時間は長くなる。そうなると365日最低一日3回の訪問介護サービスを限度額で賄うのは要介護4、5でも難しい。ましてや胃ろうとなれば、胃ろうからの注入に長時間を要する場合が多いので心配だ。

それよりも、補助金も使い高齢者専用の集合住宅を作り、外部からのサービスを入れることは効率的なのだろうか?なぜ、その建物の中でサービスを管理しないのだろうか?さて、そうは言うものの、実際に施設や専用住宅に入るとしてどのような覚悟が必要か考えてみよう。

まず、一般的に持ち込む物が制限されるので、極端な荷物の整理が必要になる。歳を取るごとに、家具から小物まで荷物が多くなる。少しづつ整理して捨てていくのだが、入所となると、多くても衣装ケース数個に絞らなくてはならない。どう最期を迎えるかなどと考えてしまう。

さて、入居する建物や居室は今時のものなら小奇麗に作られていると思う。ユニット型ならことの外、個室にしても特別な物は除いて一部屋なので、安いアパートでも最低二部屋と考えれば使い勝手が違ってくる。入所に際して、仏壇をどうするかなどの困った話を聞いたことがある。

それにも増して心配なのは他の住人だ。気の合う人ばかりならいいが、その逆なら、憂鬱な話だ。私も入院した時は、周りの患者さんに気を遣った。だが、退院するまでと考えれば、気の沿わない同部屋の方とも折り合いがついた。しかし、死ぬまでとなるとお互いに不幸な気がする。

その他、共用スペースや食事など皆に合わせなくてはいけない事もあるが、なにしろ24時間同じ屋根の下に誰かいると言う安心感が、それらの不自由さを上回るので「施設」と言う話だ。

今の時代、よほど高額な利用料を支払わないと、「理想の施設」は望めない。また、施設に入る理由に、家族や親戚が安心するからと言うことで真に自分の意思ではないこともある。

どうにせよ、幾つもの困難を乗り越えて、歳をとり現役を退いた果てには、少し勝手な人生があってもいいと思うのは私だけだろうか?人様に迷惑をかけるなら、一般社会での生活は無理だが、「自傷、他害」の恐れがなければ勝手に最期を迎えたいと思うのが人情ではないか?

自宅、施設どちらにしても、費用のことを考えながら本人や家族が決めることである。しかし、残りの人生をどこで過ごすかは重大な問題である。この事こそ、利用者本意の原則が貫かれることを望むものである。