張り紙と薬箱



張り紙と薬箱
私がまだ若い頃の事、ある工場に仮設トイレが設置してあり、そのドアに
「ドアはきちんと閉めよう」と張り紙がしてあった。その工場に毎月決まって
挨拶に訪れる壮年の社長が私に言った。
 「あの張り紙、もう何年も張ってある。そしていつもドアは閉まっていな
い。だからこの工場の製品はよくないのだ。」
 なるほどと思いつつも、当時の私にはよくは解らなかった。きっと、張り
紙だけではドアは閉めてもらえない原因があるのだろう。たとえば、ドアが
壊れていて閉まりが悪いとか、従業員のモラルがないとかだろうと思っ
た。健常者の場合でもこんなことがあるのだから、たとえば認知症や精神
疾患と診断された利用者さんの居宅でそのような事が起きても仕方ある
まい。
しかしながら、認知症や精神疾患の居宅ではこのような張り紙を見かける
ことがある。トイレとか場所の表示以外にも「ご飯は冷蔵庫にあるので炊
かないで」のような注意書きを見たことがある。効果があるからやっている
のだろうが、効果のないものもあるようだ。張り紙があるにもかかわらず
効果がなく、いつもトイレの場所が分からなくなって居室で用をたす、ご飯
があるのにご飯を炊いてしまう、などの場合私達はどう考えるだろう。居
室にポータブルトイレを置く、炊飯器を隠すのも一つの手かもしれない。し
かし私はこのような方法は、介護する側の理屈のような気がしてならな
い。それよりも居室で用をたすのは、私達介護者への抵抗ではないの
か?利用者さんが、もともと炊飯をしなければと判断する事柄は何だった
のか?ご飯を冷蔵庫に入れる習慣がなかったのではないだろうか?私は
そのように考えて対処しなければならないと思う。
 投薬管理でもそのようなことが言える。昔は飲み薬と言えば胃腸薬や風
邪薬、解熱剤と相場は決まっていたのではないだろうか。だから、症状の
ある時は飲むが、よくなれば飲まない。または、効かないなら飲まない。こ
の飲み方でよかったからその習慣が我々には染みついている。必要とな
るまで血圧の薬や抗精神薬などの定期的持続的に飲まなくてはいけない
薬には縁がないのが現実である。それなのに介護者やホームヘルパー
は、1週間分を薬箱に入れて「ちゃんと入れてあるから飲んでね。」と説明
すれば事足りると思ってしまう。しかし、昔の記憶の方が最近の記憶より
勝っている高齢者は「良くなれば飲まない、また効かないなら飲まない」の
大原則に従っても仕方がないと思わなければならないだろう。
張り紙をしたり、1週間分の薬箱を導入したことを免罪符と考えてはいけ
ないのだろう。働きかけ、観察し、考えて、それを根気よくか・・・・・・それ
が難しい。