華麗なる一族は二回目



華麗なる一族は二回目
華麗なる一族のテレビドラマ化は1974年に続いて2回目である。実
際にあった山陽特殊鋼倒産事件をモデルにしたと言われる小説のド
ラマ化だったため当時も話題となった。流行好きの母は華麗なる一
族を毎週楽しみにして見ていた。ドラマの中で阪神銀行池田支店の
支店長が大きなノルマを達成するために、昼夜を問わず働きノルマ
を達成した。しかし、彼はそれが元で「過労死」してしまう件があっ
た。このことを母は興奮して私に何度も説明したことを思い出した。
昔のことなので「過労死」などと言う言葉はまだなく、「働き過ぎ」と言
っていたのだろう。当時母は百貨店で働き、その仕事が相当きつか
ったので、ドラマの支店長に共感したのかもしれない。「過労死」との
言葉が出来て10年位だろうか。「過労死」はリストラの恐怖の中で一
般的な言葉になってしまった。「過労死」までいかなくとも、仕事で心
や体を病む人も多い。認知症の利用者さんを街の精神科にお連れし
ても、学生や若者、働き盛りの方が多いのにはビックリする。
さて、今度は父の話だが戦争中父は国の軍事工場で働いていた。戦
争末期にはジェット気流に乗せてアメリカ爆撃を狙った風船爆弾の
製造に父はあたったらしい。熱田にあるその工場の跡地には、戦後
父達が建てた空襲で亡くなった仲間を悼み平和を祈る記念碑があ
る。戦後、軍事工場は閉鎖されたので、知人を頼り三菱の臨時工と
して働いていた。臨時工には保証がない。確か3ヶ月ごとに雇用を更
新してもらうことになっていた。その更新が出来なければ即路頭に迷
う生活である。もちろん給料も安い。だからその分、母は働きに働い
た。忙しい母に代わって、私は祖母に育ててもらったので祖母の料
理を毎日食べていた。しかし、母の料理を食べた記憶はない。母は
よく私に「お父さんが正社員だったら・・・」と口癖のように言っていた。
私もその言葉を聞くたびにわびしくなったものだ。
その頃から40年以上が流れて物資も情報もあふれる日本になっ
た。働き過ぎは「過労死」になり、臨時工は「派遣」になった。少女売
春も「援助交際」と呼ぶ。「過労死」と言う呼び名はともかく、「派遣」や
「援助交際」という言い換えはいかがなものか。本当のところ戦後こ
の国は良くなったのだろうか?あってはならぬ事が一般化して、当た
り前になっているのではないだろうか。
戦後が終わらないうちに、戦前になってはたまらない。