説くつもりはないので言った方がいいとかは言いませんが、確かに子供 の頃は言うようにと躾けられていました。いつから言わなくなったかと考え ると、家族から独立し一人暮らしを始めた頃のような気がします。「頂きま す」は目の前の人に言うのではなく、作ってくれた人や食べ物そのものに 言うのだという教えがあるようだが、それは身につきませんでした。 さて、先日「家族の起源」という本を読む機会がありました。家族の介護 力が問題とかになるので読んでみたのです。その本の著者は世界中の サルの研究の中から、どんなサルがどんな習性を持ち、どんな社会を作 っているのかとか、類人猿の化石から太古の家族はどのようであったか を研究している人でした。本には様々な視点からの研究が紹介されてい ましたが、その一つに採ってきた食べ物を分け合うのが家族の原型とい う話が紹介されていました。採ってきた食べ物を分け合う、または集団同 士とか固体同士で奪い合う。その集団が家族の原型ではないかと言うの です。確かにサルでなく鳥でも餌を分け与えるのは良く知られています し、仲間に与えているのだろうと想像はつきます。食物はもっとも基本的 な財産であり、その所有から分配を考えれば一つの社会や家族が見えて くるのは私にも解るところです。 しかし、私の子供の頃から考えると私たちの食事は本当に変わってしま いました。子供の頃の食事は家族で食べるのが当たり前で、外食などは 年に数えるほどでした。家族で一緒に食事をしなくなったのが家族崩壊の 証拠かもしれません。確かに家族で集まらなくても食事が取れるのは便 利ですし合理的です。おなかが空いたらコンビニで買って食べればいい。 この風潮は自分を含めて食事は後戻り出来ないところに来ているように 思います。家族などなくても、食事どころか何でも手にはいり満たされる 時代になったのかも知れません。「頂きます」と言わないで一人で食べ る。家族の必要もない時代。でも、私たちはそんな時代を生き抜いていけ るのだろうか?そんな言葉がこの本の最後にありました。 |