団塊の世代を評論する人々



団塊の世代を評論する人々
団塊の世代が定年を迎える。これについては様々な著名人が発言をし
ている。世代の人口が多いことからの競争、全共闘にバブル経済とそ
の世代の特徴を説きながらの解説、批判や共感と様々である。ただ、
全共闘とかの大学紛争時代まで、東京へ向かう就職列車(金の卵)は
存在したし中卒や高卒が85パーセントであったことを忘れないでほし
い。
さて、そんな中で団塊の世代についてあるテレビの特集を見た。その中
で大学紛争に係わった団塊の世代を評して「赤信号皆で渡れば怖くな
いみたいな」と「なにしろ獲得するのが好き」といったキーワードを指摘す
る人がいた。私は、概ね団塊の世代より少し下の1952年生まれであ
るが、この二つのキーワードにはなるほどと思った。「皆で渡れば怖くな
い」も「獲得好き」も人間なら誰でも持っていそうな意識だが、やはりこの
キーワードはその世代を象徴しているのだろう。茶化すつもりはない
が、不正をはたらく大学当局を皆で大衆団交に引きずり出して学外に追
放し大学の自主管理は獲得した。だが、その後は何をしていいのか解
らない。そのうち学生に飽きがきて?皆が少なくなる。大学は学生には
運営できない。獲得はしたが確立はしていないわけである。
そんなたとえ話のようなことで先輩方を批評するつもりはないが、獲得
はしたが確立はしていないことには気をつけたい。確かに、団塊の世代
は核家族を皆でやって普通のことにしたし、そのライフスタイルを獲得し
たのかもしれない。それに就職した彼らは、企業戦士となって頑張りそ
の年頃には企業の中での地位も獲得したのだろうし、マイホームもマイ
カーも獲得した人も多いだろう。だが、そんな生活が次世代にも引き継
げるものとして確立できたのかというと疑問が残るのではないだろう
か?この社会構造の変化の原因がすべて団塊の世代の仕業とは思わ
ないし、根本的な原因は物質と情報の氾濫によることが多いのは前に
も述べた。それよりは団塊の世代の人口が突出して多く、変化を余儀な
くされた時代の中を生き抜いてきたことに敬意を表さねばならないこと
は言うまでもない。
しかし、どの時代を通しても獲得と確立は違い、運営維持が出来ない者
が何かの地位や権力を獲得することは不幸であることに間違いない。
騙すような形で得た地位や名誉、資格もそれを自分や他人に役立てる
ことが出来なければ迷惑だし破綻も近い。最近、原子力発電所で制御
棒の脱落事故が隠蔽されたり、臨界寸前の事故が過去に何度もあった
と報告された。しかし、重大なことであるにも関わらず国会での論議もさ
れない。それどころかマスコミは世界各国では危険だからと断念してい
るプルサーマルの宣伝をしている。危険なことは一人でやっても皆でや
っても危険である。今は亡き父が「あの戦争は皆正しいと思ってやった」
と自戒をこめて私に語ったことを思い出す。