洋食を学ぶ

洋食を学ぶ
私たちの配食のメニューは、煮物や焼き物といった和食が中心だった。それも、
独居の方に自分で温めて食べてもらうことを前提にしているので、魚の骨は全てと
り、おかずは「全て細かく柔らかく」を条件にしていた。しかし、今回はとりたてて歯
や食物の飲み込みにも問題の無い方の「普通食」を引き受けることになった。
今までの経験で考えると、配食を食べていただけない原因は主に、食材の切り方
が大きい、硬いが主だったので、この「普通食」についてもそのように対処した。し
かし、それが間違いだった。その「普通食」の利用者さんやご家族から「野菜が細
かく屑のようだ」とか「魚が小さくてケチっているのか」とのお叱りを受けた。
確かに、健常な人から見れば、それまでの配食は、野菜は細かく煮込みすぎでく
ずのよう、魚は身が崩れたようで、小さくケチっているように見えてもおかしくない。
それまでも、既存の配食の利用者さんから、「もう少し硬くても、もう少し大きくても」
との要望があったのも事実、なにより物理的に細かく、柔らかくを第一条件にして
きてしまった事を反省した。今も、そのあたりを改善中だ。
さて、「普通食」を引き受けるにあたって、私は洋食を学ぶことにした。先生は緑区
で洋食屋を経営するコックさんである。洋食と言っても、決して裕福な家庭に育っ
たわけではない私にとってはトンカツやコロッケ、オムライス位しか思い浮かばな
い。確かに社会人になってからは、レストランでの食事をする機会もあったが、そ
の料理をどのようにして作るのかなど考えたこともなかった。
そんな私が、本格的な洋食を作ろうとするから初めてのことが多い。洋食と言うと
フランス料理が代表的なようで、その基本であるソースをまがりなりにも作り、使う
ことになった。結局は出来合いの物に手を加えたりしながら経験を積んでいるわ
けだが、先生は、野菜の切れ端を大切にとっておいて、それでソースを作るのだ
から驚いた。
高級なフランス料理の基本であるソースが、野菜の切れ端から出来上がるなんて
ことは、和食では考えられない。このあたりは、食文化の違い、民族の歴史の違
いなのだろう。
私が洋食に悪戦苦闘している間に、今度は流動食の注文が舞い込んだ。聞け
ば、結局ポタージュスープを何種類か作れば、とりあえずは事足りるとのことだっ
た。そこで、洋食ソースの経験が生かされることになった。デミグラにホワイトソー
スは型通りにこなし、コーンやパンプキンスープを作り、今は和風のポタージュス
ープに挑戦中だ。
様々な問題で食べにくくなってしまった利用者さんに、なんとか食べることの出来る
食事を作っていくことが、やっと楽しみになってきた今日この頃である。