無くなってしまった仕事

無くなってしまった仕事
30年位前は、写真植字、略称写植と言う仕事は技術を要する仕事で収
入もよく、ちょっと憧れの仕事であった。しかし、ワープロが普及し始めて
からは、簡単に出来るワープロ、パソコンにその座を奪われ、今は写植
と言う仕事自体がなくなってしまったようだ。
考えてみれば、ここ30年から40年で、無くなったり、極少なくなった仕事
が沢山あることに気がついた。大工の減少はさほどではないが、住宅の
工法が変り、左官、瓦屋、畳屋、タイル工などは極端に少なくなった。八
百屋、魚屋、肉屋、陶器屋などはスーパーに取って代わられ、裁縫、洋
服の仕立てなどの仕事も、破れなどを直して着るより買い代えることが当
たり前になり廃業に追い込まれた。仕事は、専門的な知識や熟練を必要
としないように単純化され、どんなに特殊な商品でもスーパーの棚に並べ
ば、レジが打てる店員で事足りるように皆が思っている。しかし、それは
本当にそうだろうか?確かに新しい技術が考案され、それまで以上に役
に立つ物なら昔の仕事は完全に無くなる。写植は、その例かも知れな
い。
だが、印刷や情報産業のように同じ物が数限りなく生産できる商品と、店
頭加工に技術を要し、顧客によっても個々の対応を必要とする商品と
は、まったく違うことにそろそろ気づいてもいい頃かも知れない。生半可
な知識で申し訳ないが、昔の肉屋は肉を枝肉の状態で買い入れ、それ
をその店の職人が切って、カツ用、上スライス、こま切れ、ミンチなどに
加工していた。だからその店の技術によって売値は決まったし、利益も
決まってきた。しかし、全てがそうではないにしても、今の肉は工場で既
に売れる状態でパック詰めされ、枝ではなくモモやロースなどのパーツの
状態で流通していると言う。だから、肉を売るにしてもレジが打てればい
いのだ。
では、昔の肉屋はどうであったか。枝肉から取れるロースは限られてい
る。だから皆が皆、ロースカツを食べると言うわけにはいかない。そこ
で、こま切れはカレーに、ミンチはハンバーグに、残った油ラードはコロッ
ケの揚げ油にして枝肉を無駄なく使ってきた。昔の肉屋には、職人の技
術があったと言うことだ。生産された食べ物を無駄なく食べつくすのは大
切なことだ。昔の魚屋や八百屋にもそのような技術があったと思う。その
他の生活必需品や家屋も昔は、直して使っていた。だから町には、その
ような物を直す職人や、直すのに必要な材料や工具を売る店が必要だ
ったのだ。それらが全て町に住む人たちの仕事だったから、昔の町には
活気があったように思った。私は、そんな町で介護の仕事をしたいと思っ
た。