わると言う。食べ物は身体のエネルギー原であり、身体を再生産す る原料でもあるわけだ。だから、人間が存在すると言うことは食べて いると言うことである。そして、もし食べ物がない=食事が無いと言う 事は、その人間にとって存在そのものの危機であるから、その人間 が不安にさいなまれても道理と言える。 しかし、物資が豊かな現代日本社会で、飢餓のような経験をする者 は少ない。戦中戦後を経験した世代はともかく、それ以降の世代で は飢餓経験者は皆無と言っていいだろう。だから、「いつ食事にあり つけるのだろう?」と言った利用者さんの不安を率直に受け止められ ないホームヘルパーがいるし、出された食事が硬くて食べられないこ とへの焦燥感や絶望感が解からないホームヘルパーが存在するの も事実だ。 2005年介護保険法改正で、訪問介護の生活援助は一時間半が限 度となり、介護予防の考え方が導入され、多くのデイサービスではリ ハビリサービスが実施された。要介護者1人分の掃除や洗濯には一 時間半あれば十分と言う話だろうし、それより高齢者の衰えを早く発 見し、リハビリをして、介護が必要にならないようにしようと言う考えで あろう。この改正はそれなりの効果を上げ、介護保険の支出を抑制 しただろう。 介護福祉士法の定義も、「入浴、排泄、食事その他の介護」と言う定 義から「心身の状況に応じた介護」と改正された。認知症等への対応 とか社会的支援が必要になったことが、改正の理由と言うことだった が、私は入浴、排泄、食事と言う明確な定義が無くなったことは残念 に思った。飢餓状況が少なくなったり、時代と共に法律が変ったりす ることは仕方ないことである。 しかし、時代が変ろうと法律が変ろうと、個別要介護者の障害事態が 変わるわけではないし、それに必要な介護が変わるわけでもない。 いくら豊かな国?だとしても、減っているのは自分の腹だし、腹が減 ってはリハビリも出来ないと言うことだ。すなわち、法律、法の解釈、 規則、制度がどう変ろうとも、人間が存在し生きていくためには、食 事、排泄、清潔(入浴)が欠かせないことは変らないと言う事だ。 もっと言えば、食事、排泄、清潔(入浴)を貫徹するために、介護技術 や認知症への理解や傾聴が必要だし、必要なら社会的支援も取り 入れなければならないと言う事と理解している。そして、食事、排泄、 清潔(入浴)が確保できた上のリハビリではないだろうか?確かに、 鼻腔経管栄養や胃ろうで食事を確保し、介護の順番や位置づけにず れが生じる場合もあるが、食事、排泄、清潔の重要性が常に問われ るべきだと思う。 さて、食事、排泄、清潔に休みは許されない。特に食事と排泄は36 5日だ。全てホームヘルパーが行なうことにしなくとも、家族や社会的 支援との連携で365日3食はカバーしなくてはならない。そのあたり の工夫や苦労は各所で行なわれていると思うが、団塊の世代の高齢 化で要介護者の増加が見込まれるので、早急な体制作りが望まれる と思う。 また、当社の事例だけではないが、利用者さんが「食事がないので」 とか「お腹が空いたので」と言う理由で何かを買いに行こうとして、ホ ームヘルパーの訪問時間に利用者さんが不在であったということが ある。また、出された食事が硬かったり、見た目が悪かったり、味が 合わなかったりで、利用者さんが食べられなかったと言うケースもあ る。どちらも、訪問時間や調理法、配膳の仕方、傾聴や説明の仕 方、など時間や技術、根気のいる工夫で折り合いつけた解決を図っ ていかねばならないが現実は難しい。 私たちは、自分の尺度に合わないものを受け入れにくいと言う性格 がある。どうしても自分の都合で行動してしまう傾向がある。確かに いつ外出してしまうか解からない利用者さんの都合に合わせることは 出来ないかもしれない。また、自分が入れ歯でなければ、食べ物が 硬いと言う基準も解からないかもしれない。ともすると、そんなにも利 用者さんの生活スタイルや嗜好に合わせた介護は出来ないと介護自 体を諦めるとか、認知症の症状と片付けてしまっていることもあるか もしれない。だが、利用者さんとの折り合いがつかなければ、結局は 利用者さんは在宅生活を諦めなくてはいけない。そんなことを今後も 出来るのだろうか? また、このところホームヘルパー等の犯罪や不祥事の報道もありホ ームヘルパーへの信頼は揺らいでいる。表面上はホームヘルパー の仕事は尊く大変な仕事と言ってもらえるが、実際に自分がホーム ヘルプサービスを利用するとなれば躊躇する人が大半だと思う。 一方では、要介護高齢者の自殺が報道され「なぜもっと早く介護保 険を利用しなかったのか?利用しやすくなっていなかったのか?」と の主張も紹介される。介護保険制度が施行されて、今年で10年。そ れに政権が交代し、新しい考え方の政策が実施されるだろ。変遷の 10年だったかもしれないが、介護の原点=食事、排泄、清潔に戻っ て今一度私たちの仕事を考えてみたいと思う。 |