雑感「介護保険法改正」2011年5月

雑感「介護保険法改正」2011年5月
3月11日に「介護サービスの基盤強化のための介護保険法等の一部を改正する
法律案」が閣議決定された。改正の趣旨は「 高齢者が可能な限り住み慣れた地域
でその有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができることを包括的に支援
するため、定期巡回・随時対応型訪問介護看護等の新たなサービス類型の創設、
保険料率の増加の抑制のための財政安定化基金の取崩し、介護福祉士等による
痰吸引等の実施の措置を講ずること。」とされている。しかし、ここにある「住み慣れ
た地域」と言うのが曲者だ。厚労省が認知症のグループホームを在宅だと位置づけ
してから、「住み慣れた地域」とは「住み慣れた自宅」での生活とは別物になった。大
多数の国民にとってグループホームは紛れも無い施設だが厚労省の見解では在宅
と言うことになった。
さて、この改正案の多くが高齢者専用賃貸住宅(以下高専賃と略す)の為に作られ
ていることは業界の常識であるが、この法律案には高専賃の文字は見当たらない。
高専賃は国交省が管轄する集合住宅であるから施設ではない。しかし、多くの国民
にとっては高専賃もグループホーム同様、施設のようなものと受け取られている。高
専賃は完全な施設と違って、十分な介護等がないから軽度の方が入居する所と思
っているだろう。だが、今回の法改正で高専賃にも重度の高齢者の入居を可能にす
ると言うのだ。私は施設が必要なら作ればよいと思う。なぜ複雑な仕組みを作って、
施設の代替を作らなくてはいけないのか?厚労省と国交省の両省で行う方が総額
として財政支出は少ないのか?そのあたりの説明はないように思う。その他、この
改正には様々な疑問の声を聞く。@褥瘡予防ベッドや長時間オムツの普及で痰吸
引以外の24時間サービスの需要があるか?A個々に閉ざされた個室に重度の高
齢者を限られた職員で見ていくのは危険では?(症状の急変しやすい人がいるな
ら、病院のように全体の様子が見やすい構造が必要である。火災等の災害を想定
した場合は、常駐する職員数が問題となるが、大半の介護員が訪問する高専賃で
は、特に夜間の危険性が高い。)中には、「痰吸引や胃ろうを介護職にも拡大するこ
とは、介護職の時給が看護職の約半分であることを考えると単に厚労省による介護
費用のカットにすぎない」とか「サービス費用が個々のサービスに応じて支払われる
のではなく、一定の包括払いが想定されており、多くのことが時給の安い介護職に
回ってくる」「包括払いの金額次第で今回の改正が出来るかどうかが決まる、仕事
の割りに旨い話になるかどうかだ」などと言う人もいるくらいだ。
さて高専賃が出来た理由は、高齢者や介護を必要とする者に住宅を貸さない家主
が多いからと聞いたことがある。しかし、本当にそんな家主が多いのか?確かに隣
家に迷惑をかけるようでは高齢者でなくとも大家さんは困るだろう。幸いにも当社の
場合は、独居の高齢者の様子がおかしければ御近所の方が、私の携帯に連絡して
くれることが多い。私が急行したり、医師に連絡したりすることもあるが、救急車をす
ぐに呼ぶ場合もある。健常者でも体調を崩し他人の世話になることもあるのだから、
世話になるにせよ、世話をかけるにせよ、それを迷惑と感じるかどうかだ。「沢山作
ってしまったから」とお隣におかずを届ける。病気なら様子を見に行く。それは親切
か?取り様によっては迷惑かもしれない。どちらにせよ自分の住んでいる地域に関
心があることはいいことだと思う。そして、そんな大人たちを見ながら子供たちは育
つ。別に世話を焼くことがいいというのではない。距離を置き見守っている人、無関
心と思われる人、色々な人がいてこそ人間社会だと思う。ただ、我々介護職は介護
の専門家として「自傷他害のおそれの有る無し」を判断基準に居宅生活を支えなが
ら地域に係わって行きたいと思う。困っときはお互い様と言う価値観はどこの地域で
も健在であると私は確信している。そう考えると、重度の方を含んだ高齢者を一つ
の住宅に集める高専賃には疑問がある。別にボランティアで世話をするのではない
だろう。近所だし、以前からの知り合いだから、おかずを持っていくし、病気の様子
も見に行くのだ。どこかの役所にボランティアの登録をして高専賃に行くとなれば、
だいたいの人が二の足を踏むに違いない。高専賃のような集合住宅ではなく、点在
する要介護者を訪問するのは移動時間の無駄と考えることは解からないではない。
しかし、町内に一人や二人の要介護者だからこそ、町内の人が気を配ることが出来
るのも事実である。
今回の改正は、介護保険法発足以来2回目ということになるが、在宅が基本の介護
保険制度がグループホームの登場で骨ぬきになったり、退院したら在宅生活できる
ように老健でリハビリするはずだった。その老健はその中間施設としての役目を果
たさないまま定着して「住み慣れた自宅」はどんどん遠くへ行ってしまうような気がす
る。
しかし、どうであれ法が改正されればそれに従うしかない我々である。私などの心配
はものの数ではないだろうし、またその心配が当たらないような法の運用を望むだ
けである。なにしろ、改正がうまく行かない場合の被害者は、高齢者であり利用者さ
んであることを忘れてはいけない。